手塚治虫おもちゃの部屋ブログ

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カテゴリ: 万国博

EXPO70パビリオンには、万博開催決定から終了までのいろいろな記録、記念物などが保存展示されています。時間がなく駆け足で館内を廻りましたが、ひとつひとつ大変興味深いもので、もっと時間をかけてじっくり見たかったです。いくつか気になったものを紹介します。
 
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入場券の価格表です。大人800円は当時としては結構高かったのでは?
 
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お祭り広場にいた大きなロボットデメの模型。
 
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手塚先生がプロデュースしたフジパンロボット館の外観と館内の写真。当時、手塚ファンだった私には必ず行きたかったところ。並んでやっと入りました。
 
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落書きできる壁に赤塚不二夫先生が絵を描かれたようです。万博が終わった後は、壊してしまったのかな?
 
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パビリオンのコンパニオンの制服が飾られていました。なんか素敵です。
 
帰りに何か記念になるものがないかと受付の横に置いてあるグッズを見たら良いものがありました。太陽の塔の黄金の顔に使われた金属部分とタイルの一部が売られているではありませんか!平成4年の改修の時取り外されたものだそうです。 
 
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実際に黄金の顔の素材で作られている。
 
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このタイルはイタリア製のガラスモザイクタイルとのこと。そうだったんですね。
 
何といっても現物ですから貴重です。材料がなくなったら販売終了ですからね。皆様早いもの勝ちですよ!
 
今回は行けませんでしたが、万博記念公園には国立民族学博物館や日本庭園などもあります。ぜひまた訪れたいものです。(終)
 
 
 
 

出張で大阪に行ってきました。たまたま訪問先の会社が大阪万博会場だった千里丘陵の近くと知り、次の用事までのわずかな時間に太陽の塔を見に行きました。最寄の駅は大阪モノレールの万博記念公園駅。列車がしだいに近づくにつれて太陽の塔が見えてきました。これだけでも大満足。
下車して会場に続く中央橋を渡って行くと、昔は近未来的なパビリオンに囲まれお祭り広場の大屋根の中にあった太陽の塔が、今はこんもりとした森の中から頭を突き出してゆったりとたたずんでいます。
 
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公園の入り口である中央口は、たぶん昔私も通ったところです。ここからは、今は大屋根もなく塔全体が正面からよく見えます。42年ぶりの再会です。しばらく眺めていました。いや~、壊されなくて良かったですね。
 
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太陽の塔の後ろのお祭り広場の跡地は、広いオープンスペースになっていて修学旅行の生徒(?)がわいわいと遊んでいました。そこに、大屋根の一部がオブジェとして保存されていました。今や貴重な資料です。
 
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万博当時の建築物で太陽の塔以外で保存されているのは鉄鋼館だけのようです。下のその模型。
 
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この鉄鋼館がEXPO70パビリオンとして大阪万博のいろいろな資料や一部の展示物を復元展示している記念館になっています。下は、このEXPO70パビリオンに展示されている太陽の塔、テーマ館、お祭り広場周辺の模型です。
 
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鉄鋼館には当時前衛音楽などを流していたホールが残っています。ここになんと太陽の塔の中にあった生命の樹の一部が復元展示されていました!
 
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太陽の塔の中に造られた生命の樹では下の方から上にエスカレーターで昇るにつれて、三葉虫から恐竜、哺乳類へという生物の進化を模型で見る事ができました。樹の頂点では人類が未来に向けて両手を突き上げていました。エスカレーターで上がると、まず下の方からは過去の音楽が聞こえてきます。次いで、上の方から未来の音楽が聞こえてきて、ちょうど中間では両方の音楽が混ざって調和して聞こえるというすばらしい演出がされていました。万博のテーマであった「人類の進歩と調和」を具現化したものだと思います。当時私は、この太陽の塔の内部にとても感動しました。これまでの人生でも最大級の衝撃でした。
いや~また見れるとは思っていなかったので感激しました。(続く)
 

とうとう愛知万博に行くことができました。

私は、大阪万博に人生最大級の衝撃を受け、未だに「万博」という言葉には特別の感情を持ってしまいます。特にテーマ館で太陽の塔の内部を上がって行った時の感動は忘れられません。

大阪万博では、イベントやパピリオンの企画でざん新なアイデアを必要とされたため、比較的マイナーだった前衛建築や前衛芸術に初めて脚光が当てられた画期的なイベントでした。まだまだ前衛的な事が身近でなかった頃でしたので人材不足だったらしく、ユニークなアイデアを持っていそうな人達がいろいろな分野からたくさん参加していました。(もちろん手塚先生もいくつかの展示に関係していました。)

各パピリオンにおける当時としては前衛的な展示はとても新鮮でした。万博から戻った私は、自分の部屋を複雑に区切り、それぞれの区画をいろんなオブシェで飾りまくって得意になっていました。自称「万博病」です。

そんな万博好きな私でしたが、その後は、何回か大きな博覧会が開催されましたが、それほど行きたいと思わず、まったく足を運びませんでした。どの博覧会も大阪万博のようなインパクトが感じられなかったのです。

年をとって新しい物事に対する感度が低くなってしまったのでしょうか?混雑している会場の様子が報道されていたりすると、なんとなく億劫になってしまうのでした。

ところが、今回の愛知万博では、ひさしぶりに血が騒いだのです。35年ぷりの総合博ということで、昔感動した時の思い出が、じわじわとにじみ出てきたようです。それでも、いろいろなしがらみで、なかなか出かけることができなかったのですが、その間、「行きたい!」、「行きたい!」、「行きたい!」と思っていました。人気のパピリオンを見たいというわけではなく、万博会場に立ち、歴史的なイベントの一部を自分の中で共有したかったのです。

そして、ようやく1日だけですが、チャンスがやってきました。当日は、予想通り大変な人出で会場は、どこも大変な混雑でした。それほど混んでいないと思っていた海外のパピリオンも長い行列。人の波の中を一日じゅう歩き回り、時にはいささかイラつきながら行列。

疲れましたが、会場にいるだけでなんともいえない幸福感を感じる事ができました。さまざまな国のパピリオンがなかよく並んでいる平和な光景は、とてもいいものです。展示内容より、そんな雰囲気に浸れたことで満足していました。行って良かったです。

帰りの電車時間の関係で、会場に滞在できる限界の時間が次第に近づき、それでも、すぐ入館可能な比較的地味なパピリオンに入って何をするでもなくたたずむ。時を惜しみながら、たたずむ。

とうとう帰る時間となり。後ろ髪を引かれる思いで、なんとも言えない寂しい気持ちで、出口のゲートに向かって歩いていく時、35年前も同じ気持ちだったことをひさしぶりに思い出しました。


(2005.9.18)

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